大学に入ると、「単位」というワードを高校まで以上に意識するようになると思います。
多くの大学では60点以上で単位取得となり、さらに点数に応じて「秀」「優」「良」「可」などとランク付けがされているのではないでしょうか?
この成績、果たして本当に「秀」(最高評価)を取ることが正解なのでしょうか?
- 「秀」を取るに越したことは無いのでは?
- なぜそのような疑問を掲げるのか意味が分からない
確かにその通りだと思います。
ですが、そのような漠然と「秀」の方が良いに決まっていると感じている方にこそ、この記事は読んでいただきたいです。
Contents
なぜ「秀」と「可」を比較するのか
必ずしも「秀」を取ることの方が正しいとは限らない
漠然と成績は良い方が優れているに決まっている。
そのように思っていませんか?
確かにそれは半分正解です。
でも半分間違いです。
というのも、「秀」を取ることに固執して時間を無駄に浪費してしまうことは、必ずしも最適解であるとは言えません。
大学生は勉強だけをしていれば良いわけではありません。
成績も1つの重要な指標ではありますが、それだけではなく、多方面でもっと多くの活動をすることが大切です。
人生の中で比較的時間に余裕があると言われている4年間ですから、できるだけたくさんの経験をしましょう。
そうして総合的に優れた人物を目指すことが、以降の人生において自身への大きなリターンとなるのではないでしょうか?
「秀」を狙うことのメリット・デメリット
「秀」を狙うことのメリットとしては、成績面での優遇を受けられることが挙げられます。
例えば研究室配属です。
理系では主に4年生になると配属される研究室は、3年生までの成績が基準になることも多いと思います。
成績が良くないと、行きたい研究室に行くことが出来なくなってしまうかもしれません。
また就職活動にも大学時代の成績は影響します。
推薦を受けるためには成績が高い方が有利です。
一般の応募でも、成績証明書で印象が変わるかもしれません。
一方デメリットとしては、「秀」を取るために相応の学習時間を必要とすることが挙げられます。
大学自体専門的な学習をしている場ですが、その学科や専攻の中でもさらに細分化して考えると、自身にとって本当に専門としたいことと、そうとは限らないことに分けられますよね。
その専門分野以外の勉強にも時間をかけ、「秀」を獲得する必要は本当にあるでしょうか?
しかも専門分野から外れれば外れるほど、知識が乏しくなる分、より多くの学習時間を必要とする傾向があります。
それならば専門分野により時間を割く方が有益ですよね。
「可」を狙うことのメリット・デメリット
「可」を狙うことのメリットとしては、時間を有効活用できることが挙げられます。
これは、今お話しした「秀」を狙うことのデメリットの解消に相当します。
成績は全て「秀」でも全て「可」でも同じように卒業することが出来ます。
またこの記事では深掘りしませんが、同様に単位数に関しても、卒業に必要な単位数ぴったりでも多く取っていても卒業できます。
それならば卒業要件をクリアできる程度の労力に抑えたうえで、自主的な活動や勉強に残りの時間を割いた方が効率的であると捉えることもできます。
「可」を狙う、逆に言えば「秀」を狙わないことには、実はこのようなメリットも存在しています。
しかしデメリットももちろんあります。
仮に全科目の評価が「可」で卒業することを考えると、それはその大学の卒業生としては最底辺で卒業することを意味しています。
就職でも、大学名で期待させておいて、成績を見ると「あれっ?」となってしまうかもしれません。
それなら1ランク下の大学で上位にいた方が印象は良いですよね。
さらに「可」はいつも「不可」と隣り合わせです。
「秀」を狙っていれば少しミスをしても単位を落とすことは無いと思いますが、「可」はそうではありません。
ある意味で「秀」を取る以上の技術を必要とするかもしれません。
最後に、「可」の評価で本当にその科目を習得したと言えるでしょうか?
同じ学費を払っているにも関わらず、学びが少ないのでは損をしています。
そもそも成績は「狙う」べきものなのか?
成績はどのようにして決まる?
大学の成績は、テストやレポートの評価を基に決定されることが多いと思います。
プレゼンテーションを行い、その様子を1人1人評価するような授業も存在すると思いますが、全てではありませんよね。
ここで、テストやレポートによる評価が成績の大部分を占める場合、それさえやっていれば単位が取得できる、高評価が取得できるということがあります。
すると、普段の講義はあまり積極的ではなくても、テストやレポートの時だけ真剣になれば良いと考える方がいらっしゃるかもしれません。
確かにそれで「秀」を取得するということは、最小限の労力で最大限のリターン(評価)を得るという観点からは、効率的で頭が良いかのようにも思えます。
しかし、そのようにして「秀を狙う」、すなわち「秀」を取ることに焦点を合わせた受講を行うことは、本当に正しいのでしょうか?
「秀を狙う」ことに意味はあるのか
もちろん高成績を狙うことには、前述のメリットがあります。
それを目標にして、 モチベーションにして勉学に励むのも良いでしょう。
しかし、見かけの成績だけが良くても、中身が空っぽでは意味がありません。
そんなことは関係なく、高く評価されて希望する企業に就職できればそれで良い?
そんなことはありません。
実力が伴っていないのに、成績が評価されて高レベルな企業に就職できてしまっても、その後が辛いだけです。
就職はゴールではなくスタートです。
高レベルな同期に引っ張られて成長できるのであれば良いかもしれませんが、あまりにもレベルがかけ離れていると、挫折するリスクが高まってしまいます。
そうなれば、自身にも企業にもマイナスしかもたらしません。
表面的な評価だけを気にして、「秀を狙う」ことには意味がありません。
そうではなく、内面的にも「秀」な人物を目指すことが大切です。
評価された成績を評価する
学期終わりに受講した各科目に対して付いた評価、どのように受け止めているでしょうか?
落単の有無だけを確認して終わってしまっていませんか?
これからは、評価された成績に対して「自身で評価する」ということを実践してみましょう。
すなわち、こういうことです。
例えば「秀」の成績があった場合、それは自分で自分に対して評価しても「秀」であったか、自問自答してみてください。
自分でも納得のいく「秀」であった場合、それはその科目を本当に頑張った、深く理解したということだと思われます。
一方想定外の「秀」(想定外にプラス方向に評価されてしまった「秀」)であった場合、ラッキーと簡単に済ませてしまっていませんか?
表面上は高評価を得ていますが、その科目の本質にまで踏み込めていない可能性があります。
評価だけに満足するのではなく、もう一度学習内容の振り返りを必要とする、要注意な事例であると言えます。
どのような4年間を過ごしますか?
大学の4年間は成績だけではない
もちろん勉学は大学生の本分であり、最も大切です。
バイトに注力しすぎて留年してしまった、なんて大学生あるあるのようなことになってしまっては本末転倒です。
ですが、逆に4年間勉強しかしていないということには、それはそれで少し問題があります。
極端に言えば、いくら勉強のできる東大生でも、他の観点で欠けている能力が目についてしまうと残念ですよね。
就活という観点に合わせて言うと、エントリーシートは通るのに面接で落とされるようなパターンにはまってしまう恐れがあります。
加えて大学生活で頑張ったことが勉強のみの状態であれば、就活で話すことの話題としても少し乏しく感じてしまいます。
誤解を恐れずに言うと、ネタ不足になってしまいます。
既に同じようなことを言いましたが、成績だけが「秀」ではなく、総合的に人物として「秀」を目指すことが重要であると言えます。
目的を持って大学生活を送る
総合的に「秀」な人物、具体的にはどのような人物をイメージしますか?
4年後の自分を想像し、どのようになっていたいか考えてみましょう。
- どのように変化していたいか
- やりたい仕事に近づくためにはどうすれば良いか
- 4年間で何を得たいのか
4年後に「秀」以上のものを手に入れることができたと感じられたらとても良いですね。
もしかしたら、周囲のみんなが受験するからと流されて大学に進学したかもしれません。
でも大学に進学した以上、受動的な4年間ではもったいないです。
目的を持って有意義な4年間を送ることが、その後の人生にも大きく影響するのではないでしょうか?
行動しよう
目的を持つことができたら、その後に重要なことが1つあります。
それは実際にその目的に向かって「行動する」ということです。
実はここが最も難しいポイントでもあります。
言うは易し行うは難しですね。
ですが逆に言えば、ここさえ乗り越えることが出来れば、大きく成長することができます。
少し言い方をかえると、習慣化するまでは大変ですが、一度習慣化してしまえば、それ以降はあまり辛くありません。
やらない方がむしろ違和感を感じるくらいに馴染んでしまえば理想的ですね。
「時間がない」「他に優先したいことがある」などと、いくらでも言い訳することは簡単です。
そんな言い訳をしている暇があるならば、行動しましょう。
その小さな1歩が、後に大きな分岐点となるかもしれません。
まとめ
この記事でお話しした内容を踏まえた上で、「秀を取るに越したことが無い」のはその通りです。
しかしそこには注意が必要です。
表面的に評価だけが「秀」ならば良いわけではありません。
仮に専門職を目指すのであれば、大学で学んだことが仕事に直結することも十分にあるはずです。
教授は成績やレポートでしか評価することが出来ませんが、その評価を鵜呑みにするのではなく、自分自身で再度評価を行ってみると、気づきが得られるかもしれません。
そして、成績の重要性は確かに否定できませんが、そこだけに固執した4年間ではつまらないです。
行動を起こし有意義な4年間を送ることが、表面的な「秀」の評価を受けるだけでなく、総合的に優れた人物となるためにも重要なのではないでしょうか?