大学

ぎりぎり落単した人へ、ぎりぎり留年した人へ

成績を確認し、単位を落としている科目があった場合、どうしますか?

  • 落単に落ち込みますか?
  • その科目の担当教授を恨みますか?

素直な心の持ち主で良いと思います。

しかし、重要なことは、この成績を受けてどう行動するかです。

落単を無駄にしないために、来年また落単しないために、できることを考えましょう。

まずは、落ちてよかったですね

ごめんなさい

馬鹿にしたり、煽ったりしているわけではありません。

確かに、単位を落とさないに越したことが無いのは、その通りです。

ですが、落単・留年という事実が出てしまった以上、それはもう仕方がありません。

今さら変えることはできません。

前向きに捉え、次に生かすために、少し考え方を変えてみましょう。

学び直せる幸せ

仮に、あなたが59点で落単したとします。

あなたは60点で合格した人を見て、どのように感じますか?

  • 羨ましい
  • ずるい
  • 運がいいな

このように考える方が多いかもしれません。

でも、それは本当に正しいでしょうか?

考えようによっては、59点で落単したあなた方が幸せかもしれません。

というのも、必修科目を落単した場合、基本的には翌年、再履修することになりますよね。

強制的に学び直さざるを得ないわけです。

これは実は、少し見方を変えれば、もう一度学び直しの機会が与えられることになります。

60点で合格した人には、そのような機会はありません。

もちろん60点で合格していても、その点数を見て「学習が不十分だった」と反省し、個人で理解を深める時間を確保できるのであれば、問題はありません。

しかし、そのような方はなかなかいらっしゃいませんよね。

そもそも、学習意欲が高く自身で学べるような人は、60点なんて取りません。

1点差で決まる、再学習の機会の有無。

60点で合格よりも59点で不合格の方が、ある意味幸せだと思えてきましたか?

60点で合格は危険?

以上のように、見方を変えると60点での合格は少し危険かもしれません。

59点の不合格と60点の合格では、能力に大差はありません。

基本的には、テストやレポートなどから算出した成績が、偶然その点数になっただけです。

しかしその1点差で、60点の人は100点の人と同じ「合格」に分類され、59点の人は0点の人と同じ「不合格」に分類されてしまいます。

(「合格」はさらに「秀」「優」「良」「可」などに細かく分類されるので、60点と100点が同じということには少し語弊がありますが。)

そこで59点ならば、強制的な学び直しにより、その科目の理解を深め直すことができます。

ですが60点ならば、表面的には合格していながらも理解不足のままです。

この違いが表れるタイミングの1つに、研究室に所属したタイミングが挙げられます。

能力不足に気づいた場合、早急に学び直しの必要性が生じます。

すると、研究のスタートラインにも立てないまま、時間だけが過ぎて行ってしまうことになりかねません。

点数に関係なく、「合格」も1つの能力としてプラスに捉える考え方も否定はしませんが、60点での合格をその科目を習得したと考えるのは間違いです。

学習不足のツケが将来的に返ってくる可能性があることは理解しておくべきです。

来年落とさないために

2度目の落単、留年はダメ

ここまで「落ちてよかったですね」という話をしてきましたが、全然良くないことは、言うまでもありません。

あくまで、「”60点で単位が出てしまうくらいなら”落ちてよかったですね」です。

当たり前ですが、単位を落としただけでは意味がありません。

59点での落単は、翌年真面目に再履修を受け、単位を獲得して初めて意味を持つことになります。

すなわち、昨年の失敗から学んで合格することが大切です。

これは勉強に限りません。

失敗から学んで成功する。

そこで初めて失敗に価値が生まれます。

昨年から学ばず、同じことを繰り返していたら、意味がありません。

同じ結果しか得られず、なにも成長しません。

何のために2度目を受けるのか、考え直すことが重要です。

「科目数が少ないから今期は余裕」は間違い

留年生にありがちですが、数科目のために学期を過ごす方についてです。

極端な例として、1科目のためだけに留年してしまったパターンを考えます。

仮に昨年受講していた科目数が10科目であった場合、今年は1科目だから学習に費やす労力も10分の1?

ということは、残りの9にはバイトを詰め込める?

そんなことはありませんよね。

そのような考え方では、きっと多留してしまうことでしょう。

あなたはなぜ落単してしまったのですか?

理由は様々あると思いますが、その1つに勉強時間不足が考えられます。

時間が足りなくて単位を落としてしまったのであれば、単位を取るためにはもっと時間を費やさなければなりません。

先ほども言いましたが、同じことを繰り返していても、結果は同じです。

余裕をかましてバイト三昧、からの2留なんて笑えません。

もしかしたら、この話を聞いて、同じ勉強時間でも昨年の知識があるからスタートラインが違うと反論する方がいらっしゃるかもしれません。

確かにその通りかもしれません。

ですが、所詮落単してしまう程度の知識。

それも1年前のこと。

はっきり言って、誤差程度ではありませんか?

2留を防ぐためには、昨年以上の努力は欠かせません。

大学受験の浪人生が有利な訳では無いどころか、余裕ぶっていると現役時代以下になってしまうのと同じです。

60点を狙うと、落単します

ここまでの話もそうですが、調子に乗って余裕ぶることが、落単・留年をもたらす最も大きな原因です。

60点は、あくまで単位をもらえる最低ラインに過ぎません。

60点では、その科目の知識が本当に身についたとは言えません。

60点ジャストを狙う技術を磨いている暇があるならば、勉強しましょう。

テストで捨てる問題(捨てる範囲)を考えている暇があるならば、勉強しましょう。

昨年受けたテストを過去問にできるから余裕などという考えも危険です。

そのようなことは、教授側は分かり切っています。

再履修生が得なことにはなっていないのが基本です。

目的は単位ですか?

本当の目的を見失わないで

単位に一喜一憂する大学生は多いですが、本当の目的は単位ですか?

確かに単位は卒業条件でもあり、間接的には目的と言えるかもしれません。

しかし、その向こう側には本当の目的があるはずです。

  • 何のために大学に進学したのですか?
  • 卒業後のキャリアはどんな風に描いていますか?

就活を始めてから、大学生活の怠惰を後悔しても遅いです。

将来の選択肢を狭めざるを得なくなったなんて後悔しても遅いです。

単位取得の向こう側にきちんと目的があれば、60点のボーダーラインなんて気にしていないはずです。

単位が目に見える数値として、1つの指標になることは事実です。

ですが、企業はそれを見たいわけではありません。

単位で採用の可否を決めているわけではありません。

大学時代に何を学んだかが重要です。

受け身の講義になるのではなく、知見を広めるきっかけにしたり、異なる分野へ応用したり、1つ1つの講義も有効に活用することが大切です。

確かに、単位に目が行くのは理解できます

各科目の担当教授は、100点満点の数値で受講生を評価しなければなりません。

小学生のように授業外の時間も含めて接しているわけではなく、また評価する人数も違います。(一般に大学の方が規模が大きくなります。)

そのため1人1人に対して、内面やその他多方面を見て総合的な判断を行うことは不可能です。

どうしてもテストやレポートでの(半機械的な)評価になってしまいます。

しかし、これを都合よく捉えて、怠けてしまってはいけません。

確かに学生側から見れば、テストやレポートなど、評価対象の課題だけを頑張っていれば良いのは事実です。

それで、表面上は高評価がもらえます。

逆に、評価対象外の事柄は、いくら頑張っていても評価されません。

ですから、単位に注目してしまうのも仕方ありません。

ですが、先ほど「本当の目的を見失わないで」と言ったように、数値に表れる単位だけが全てではありません。

単位は1つの指標に過ぎません。

狭い視野にとらわれず、もっと有意義な4年間を過ごしませんか?

自身の価値を高めるために学ぶ

60点は最低ラインだとお話ししましたが、たいていの科目において、出席し、テストやレポートなどの課題をこなしていれば、単位はもらえます。

つまり、課題をこなしているだけでは最低ラインです。

それで卒業するということは、底辺で卒業するということです。

せっかく受験して入学した大学。

底辺で卒業するなんて、もったいなくありませんか?

プラスアルファで何ができるか、どれだけできるか、考えてみませんか?

それが、あなたの希少性や個性となります。

他者との差別化のポイントとなります。

また、これらはそのまま就職(面接)でのアピールポイントとなります。

富裕層と貧困層の二極化などと言われている日本ですが、将来どちら側に属することになるかは、この希少性や差別化がキーワードとなることでしょう。

まとめ

単位を取れた落としたと一喜一憂している時点で、大学生活を無駄にしています。

考え方を変え、来年はぜひ高評価の獲得を目指してください。

どうせなら、秀(最高評価)を取れたか否かを話題にできるくらいになると良いですね。

ですが、本当に大切なものは単位の向こう側にあるはずです。

本当の目的のためにも、目の前の単位に縛られない有意義な大学生活を送りましょう。